アメリカ社会で底辺の生活をする人のブログ

〜日本に帰りたい。でも帰れない..〜

創価学会員とキリスト教徒と日本のお守り事情と

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 私の仲の良い友人の一人は創価学会員だ。高校時代からの友人だが、勧誘して来るような事は無かった。よく一緒に遊んでいた男の子が、「カルトじゃん。あんま良くないよ。」と彼女に行ったとき、彼女は「私は信じたいから信じてる。」と返していた。

 

 日本人は自分たちが神道や仏教徒ということは一旦端に置いておいて、他人の宗教を攻撃する事が多々ある。「宗教やってる人たちって、結局弱ってるときに何かにすがりたいんだよね。」と、神道・仏教以外の宗教を信じる人たちの話をする。「宗教があるから、戦争があるんだ。」とか「あいつは弱い人間だ。」とか「こわい。」とか。

 

 ただそういう方々は、新年の初詣に行ったり、受験前に学芸の神様に願掛けに行ったり、鈴虫寺で恋愛成就のお守りを買ったり、厄年には厄除けに行ったりする。そして結婚式はなぜかチャペルで賛美歌の中、結婚の誓いをする。もうめちゃくちゃだ。これは本当に、日本の文化だなぁと思う。アメリカは人種のるつぼで色んな宗教の人たちが混在する。結婚式はその方々の宗教を象徴する儀式なので、ユダヤ式、カトリック式、イスラム式、といろいろだ。

 

 あと、「私は無宗教だから。」という人もいる。でも本当に無宗教の人にあんまりあった事はない。ただ、そういう方々も初詣に行ったり、なんらかの願掛けをしたりした事はあるのではないか。

 

 この矛盾を創価学会員の彼女とキリスト教プロテスタントの私が語ると盛り上がる盛り上がる。「お守りに金とかかける前に、もっと精神の部分で信じようよ。」とか「厄年って誰が決めたんだよ。」とか「占いとか行く人間の方がどう考えったって弱いじゃんかよ。」とか。ただ、どう考えたって私たちの意見は日本ではマイノリティーだし、彼女も私も誰かを宣教しようとはしていない。自分たちが納得して信じているのだ。お互いがそれをリスペクトしている。

 

 私の家族は仏教だ。私が途中でConvertした事を責める事無く理解してくれているし、マイナス要因となるようなことも言わない。私も仏教の事を何も言わない。自分の事を棚に上げて他の人が信じているものを責めることは、単なる「宗教戦争」を勃発させるだけだ。アメリカに来て学んだが、「宗教」というものも個人を表す一色である事。だけど「あの子○○教だから。」と、それをその人のラベルにしてしまうことだけは辞めた方がいい。